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タイトル: No Title 投稿者名:Me too 投稿日:2018/08/06(月) 22:33:17 
興国―静岡商メモリアルゲーム開催 
1968年夏の甲子園決勝で投げ合った両エースが50年ぶりに再会

メモリアルゲーム 興国―静岡商 ( 2018年8月2日 興国高グラウンド ) スポーツニッポン転載

 1968年夏の全国高校野球選手権大会で決勝を戦った興国と静岡商の両校が2日、大阪府枚方市の興国高校グラウンドで「メモリアルゲーム」を開催した。

 始球式を終えた両雄が、空白の時を埋めるように固い握手を交わした。
第50回記念大会から、今年で丸50年。第100回記念大会という節目を迎えたこともあり、興国と静岡商が再び顔を合わせた。

 「こういう機会をつくっていただき、本当に感謝したい。50年ぶりの再会ですが、互いの距離が近く感じられるのは野球がもたらす良さでしょう」興国のエースだった丸山朗氏は、しみじみと言葉をつないだ。

 前夜の懇親会で静岡商の主戦を務め、巨人などで活躍した新浦寿夫氏と50年ぶりに再会。
甲子園の決勝で投げ合った当時の思い出話に花を咲かせ、この日を迎えた。

 笑みをたたえた新浦氏は言う。「企画をしていただいた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
あのとき、ゲームが終わって握手をせぬまま別れたのですが、それがきょう叶いました。
決勝の相手と再会できたのは、野球の神様がくれたプレゼントです」

 午前9時すぎから始まったセレモニーでは両校の校歌斉唱に続き、興国・草島葉子理事長兼校長が「今回、静岡商業さんをお迎えして、もう一度、真っ白な気持ちになって、甲子園を目指していただきたいと思います」
と両チームのナインに語りかけた。古豪復活は関係者のみならず、高校野球のオールドファンも熱望する。

 高校球史に燦然と輝く、あの夏――。激戦の大阪を勝ち抜き夏の甲子園初出場を遂げた興国は、右下手投げ丸山の快投で勝ち上がった。
初戦の金沢桜丘を完封すると、そこから3試合連続完封。準々決勝・三重戦の3回に1点を失ったが、5試合を1失点に封じ決勝へ進んだ。
静岡商戦も新浦との息詰まる投手戦となったが、わずか3安打で完封。準決勝までの5試合45イニングで2失点(自責1)
という左腕に1―0で投げ勝ち、全国制覇を果たしたのだった。

 「1回は勝ちたいな、と。無欲の中で、力以上のものが出たと思う。いろんな要素がないと頂点には立てない。バックがよく守ってくれたし、守り抜いての勝利。あれから50年経ったけれど、生涯一の感激を味わえたと、いま改めて思いますね」

 丸山氏が自宅に保管していた「KOKOKU」のユニホームを身にまとったのは、卒業後初めてのことだった。
始球式を終えた後は新浦氏とともに、バックネット裏から後輩たちの戦況を観戦。
当時、静岡商の「3番・右翼」として出場した元中日・藤波行雄氏も駆けつけ「50年前がよみがえる。今もあの夏は私の原動力。
再び試合ができて、これほどありがたいことはありません」と感無量の面持ちを浮かべた。

 興国は1975年夏、静岡商は2006年夏を最後に、それぞれ甲子園から遠ざかる。今夏の地方大会では興国が2回戦、静岡商が準々決勝で敗退。夢の続きは、新チーム以降に持ち越された。

 メモリアルゲームでは静岡商が12―8で興国を下し、50年前のリベンジを果たした。静岡商・高田晋松監督が「歴史を感じます。これを機に両校が再び甲子園で対戦できるようになれれば」と言えば、興国・林信太朗主将は「新たな歴史を築いていきたいです」と前を向いた。

 「技術、精神力の両方がないと勝てない。常に甲子園でプレーすることを目指して頑張ってほしい」。
両校がやがて聖地へたどり着くことを願い、丸山氏はエールを送った。



タイトル: No Title 投稿者名:感激 誇りに思います 投稿日:2018/08/05(日) 21:57:40 


「皇太子ご夫妻、高校野球開会式に出席 思い出の一戦は」
朝日新聞デジタル 8月5日より転載

 皇太子ご夫妻は5日、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場を訪れ、第100回全国高校野球選手権記念大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)の開会式に出席した。
 皇太子さまは開会式で「今日までの練習の成果を十分に発揮し、力の限りプレーすることを期待しています」とあいさつした。全文は以下の通り。

     ◇

 あいさつに先立ち、この度の平成30年7月豪雨により亡くなられた方々に深く哀悼の意を表しますとともに、ご遺族と被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。被災地の復旧が一日も早く進むことを願っております。

 第100回という記念すべき節目を迎えた、全国高等学校野球選手権記念大会の開会式に出席できることを、うれしく思います。

 次代を担う若者が、スポーツを通じて自らを鍛え、スポーツマンシップを養うことは、とても大切なことであり、これまで1世紀にわたり、青少年の夢を育み、国民の大きな関心を集めてきた高校野球が果たしてきた役割には、大きなものがあります。

 私の高校野球の最初の記憶は、第50回記念大会の決勝戦、大阪の興国高校と静岡商業高校の試合でした。1対0という白熱した投手戦をよく覚えています。それ以来、50年にわたり、高校野球を身近なものと感じて応援してきましたし、第70回大会と第91回大会では開会式に出席し、試合を観戦して、長きにわたる高校野球の歴史の一部をこの目で垣間見る機会を得られたことは、とてもうれしいことでした。

 その度に、選手や応援団、観客や運営に関わる人たち、さらには選手たちを受け入れる地元の方々のひたむきな取り組みによって、高校野球が育てられていることを、強く感じることができました。1世紀の長きにわたる皆さんの努力に対し敬意を表します。あわせて、選手の皆さんが、試合を通して大きく成長されている様子もうれしく思っています。

 選手の皆さんは、日々鍛錬を積み重ね、母校の、そしてふるさとの期待を担って、ここ甲子園に集いました。今日までの練習の成果を十分に発揮し、力の限りプレーすることを期待しています。同時に、暑いさなかの試合となりますので、プレーする選手の皆さんも、応援する方々も、くれぐれも体調の管理には気を付けてください。

 この大会が、多くの球児の活躍の場となり、国民に親しまれながら、更に大きく発展することを願うとともに、選手の皆さんのご健闘を心からお祈りし、あいさつといたします。(緒方雄大)


タイトル: No Title 投稿者名:あの時アルプススタンドにいた 投稿日:2018/08/03(金) 21:15:00 
「50年前の決勝相手と夢の再戦 交わせなかった握手いま」

8月7日付 スポーツ 朝日新聞デジタル

 50年前の夢舞台を再び――。1968年夏の第50回全国高校野球選手権記念大会の決勝で対戦した興国(大阪)と静岡商の硬式野球部が2日、大阪府枚方市で記念試合を開いた。

 試合前、興国の林信太朗主将(2年)と静岡商の川住綾太朗主将(2年)ら両チームの部員が、それぞれの校歌を斉唱した。

 始球式には当時、興国のエースだった丸山朗(あきら)さん(68)=と、巨人などで活躍した静岡商の新浦寿夫さん(67)が登場。往年のフォームで2人が投げると、大勢のOBや保護者らから大きな拍手が起きた。元中日で静岡商OBの藤波行雄さん(67)も駆けつけ、「50年前に戻ったような感じ」と目を細めた。

 「甲子園のマウンドがよみがえった」。丸山さんは半世紀ぶりに当時のユニホームに袖を通し、笑顔を見せた。早大進学後、大昭和製紙(現・日本製紙)へ。現在は静岡県富士市で運輸会社の社長を務める。

 新浦さんは「50年後に決勝の相手と再会できた。野球の神様がくれたプレゼント」。6月から川崎市の自宅近くでランニングを続け、この日に備えたという。

 第50回大会決勝は、決勝まで1失点の丸山さん、2失点の新浦さんによる投手戦となった。五回裏、内野安打で出塁した丸山さんが生還。これが決勝点になり、興国が1―0で初出場・初優勝を飾った。最後の打者は藤波さんだった。試合後、丸山さんと握手を交わせなかった新浦さんは50年間心残りだったという。この日、がっちりと握手した2人は「次は一緒に甲子園を観戦しよう」と約束した。

 今夏の地方大会で、興国は2回戦、静岡商はベスト8で敗退した。興国の部長、喜多隆志さん(38)は智弁和歌山の選手として、夏の第79回大会で優勝。「あの熱気、あの緊張。甲子園に選手たちを送り出したい」。静岡商監督の高田晋松さん(48)は「今度、興国と戦うときは甲子園」と来夏を見据えた。


タイトル: 豪快に散る! 投稿者名:[管理者] MASA 投稿日:2018/07/24(火) 17:32:56 
真っ向勝負の結果。

たらればを語ればキリが無い。

気候条件や試合間隔はほぼ同じ。
違うとすれば、1つ前の試合が接戦だったか、コールドだったか。

ただ、「甲子園で勝つ」を目標に掲げているチームにとっては正攻法で倒さなければいけない相手だった。
全国に目を向ければ、“打”を売りにしているチームはいくらでもいる。

下級生たちがこの試合をどう捉えるか。

去年、まさかの初戦敗退という屈辱から這い上がってきた3年生の頑張りを見ていた2年生、1年生。
さらに上を目指すには、3年生がやってきた以上の事が必要という事。
新チームの躍動に期待したい。


タイトル: ベスト8! 投稿者名:[管理者] MASA 投稿日:2018/07/23(月) 22:31:48 
そして、次の常葉菊川。

この試合の勝者が甲子園に行くんだろうと思ってるし、それが静商であると信じてる。

これまで対戦相手校などに配慮し、“勝ち進んだ場合”との表現を使わせてもらっていたが
あえて、ここは言い切る。
勝って甲子園。

この近年の中では、それくらいの可能性があると感じているし、一番高いと信じている。

前回出場から12年。
そして、100回記念大会。

今年の夏は「暑いだけ」の記憶じゃなくて「甲子園出場の歓喜に沸く」記憶でありたい。

タイトル: 新浦さん ありがとう 投稿者名:応援歴60年 投稿日:2018/07/10(火) 20:53:19 
ニッカンスポーツ 7月10日(火)野球全国版より転載
「野球の国から」高校野球編
シリーズV  47都道府県物語 静岡A

ドラフト「国籍」消滅 静商・新浦

1968年(昭43)夏の第50回記念大会。静岡商を準優勝に導いた「1年生エース」新浦寿夫は、大会後も野球ファンの注目を集めることとなった。
韓国籍だった17才左腕の獲得をめぐり、日米9球団が争奪戦を展開。結果、同校を中退し、ドラフト外で巨人に入団した。
一連の騒動は、65年に導入されて間もないドラフトのルールを、変更させるきっかけとなった。

半世紀前の聖地を沸かせた新浦は、いわゆる「野球少年」ではなかった。「もともと甲子園も、プロ野球もテレビで見たこともない。野球のやの字も知らなかったんだ」
小学時代はバスケットや陸上などを経験。父永植の勧めで、中学から軟式野球を始めると、黒縁めがねの長身左腕の評判は、名門静岡商関係者の耳に届いた。
経済的な事情もあり、同校の定時制に入学。全日制が終業する午後3時30分から、定時制が始業する同5時までの1時間半が、新浦の練習時間だった。
やがて定時制1年を終えると、周囲の協力もあり、全日制の1年生として編入。つまり甲子園では「1年生エース」と騒がれたが、実質は2年生。同校の藤波行雄(中大を経て中日)らと同い年となる。

初の聖地では、快速球とキレのいいカーブを武器に快投劇を演じた。決勝までの5試合で3完封、1失点完投が2回。初優勝のかかった興国(大阪)との決勝は、丸山朗との息詰まる投手戦の末、0−1で敗れたが、新浦の目に涙はなかった。泣きながら甲子園の土をかき集める仲間たちを冷静に見つめ「また来てやるという意識が強くてね。
来年は(優勝旗を)取れると思っていたから(土を)持ち帰らなかった。2年生(実質3年生)になる来年は全国制覇できるという確信があった。

ところが高校生新浦に「来年」はなかった。甲子園での激闘を終えると、韓国籍のため、秋の国体に参加できないことが新聞紙上でクローズアップされたのだ。
また当時のドラフト規定には「獲得対象選手は日本国籍を持つもの」とあり対象外となる新浦獲得をめぐり、МLBジャイアンツを含めた9球団が争奪戦を展開。「国体も王(貞治)さんの時から分かっているはずなのに、「なんで俺の時代に・・・・大人の世界って、いろいろとうるさいな、と思ったね」、17才左腕は大人の事情」に振り回されることとなった。

新浦側は、東京で弁護士をしていた叔父の松原満が、代理人となり各球団と交渉。新浦が交渉の場に同席することはなかった。
「本当に何も知らない。蚊帳の外というか、金魚鉢の中の金魚みたいなもんだよ」。結果、新浦は静岡商を中退し巨人入団。入団発表は9月9日で、8月22日の甲子園決勝から、わずか18日のスピード決着。この一連の騒動を機に、ドラフト対象選手規定から「日本国籍を持つ者」が消され、その後「日本の学校に所属した選手はすべてドラフトにかける」と変更された。
後に日韓合せて24年もの長いプロ生活を送ったが、高校生活はわずか1年半。この大会が最初で最後の聖地となったが「甲子園は俺の野球の第一歩かな」と懐かしむ。
「今は無職だけど、話があればどこでもコーチに行きます。でも70になったら、出しゃばるのはやめようかな(笑い)」。現在67才、半世紀前に踏み出した歩みは、まだまだ止まらない。(敬称略)【鈴木正章】


タイトル: No Title 投稿者名:栄冠に我らは輝く 投稿日:2018/06/18(月) 09:07:05 
「栄冠は君に輝く」映画に 夢と挫折・家族の物語テーマ
2018年6月18日 朝日新聞

 全国高校野球選手権が第100回の記念大会を迎える今年、大会歌「栄冠は君に輝く」をテーマにしたドキュメンタリー映画が制作される。作詞した石川県能美(のみ)市の故・加賀大介さんと家族の物語が描かれる。撮影に協力した妻の道子さん(93)は、野球少年だった夫の思いが詰まった歌をこの夏、甲子園で聞くつもりだ。

 大会歌の歌詞は1948年6月20日、朝日新聞が公募した。5252編の中から石川県根上町(ねあがりまち、現・能美市)の加賀道子さんの詞が選ばれ、翌7月20日に発表された。曲は昭和初期から数々のヒット曲を手がけた古関裕而(ゆうじ、1909〜89)がつけた。道子さんは金沢市内の職場で歌詞の当選の連絡を受け、朝日新聞金沢支局を訪れて当時は大金だった5万円の賞金を受け取った。

 だが、本当は婚約者だった大介さんが、道子さんの名で応募したものだった。「賞金目当てと思われるのはプライドが許さなかったようです」と道子さん。20年後の68年2月、朝日新聞の取材に「作詞者は夫でした」と告白するまで、取材なども道子さんが受けていた。

 こうした経緯や歌詞に込められた思いなどを東京の映画監督稲塚秀孝さん(67)が、映画「ああ栄冠は君に輝く」にまとめる。稲塚さんは被爆者や難病患者を追いかける作品などドキュメンタリーを手がけてきた。2008年の90回大会の際に道子さんを取材したことがあり、「100回大会で絶対に映画を作りましょう」と約束し、脚本を温めていたという。

 能美市や金沢市でロケをし、カラオケで大会歌を歌う道子さんの姿も撮影した。映画の中では、歌手の加藤登紀子さんも歌う予定で、語りは俳優の仲代達矢さんが務める。仲代さんが主宰する無名塾の役者らが出演するドラマ部分と、道子さんや能美市出身の元ヤンキースの松井秀喜さんらのインタビュー部分をあわせ、作品は90分。7月7日に金沢コロナシネマワールド(金沢)で先行上映し、同下旬から全国で公開する予定。

 稲塚監督はこの映画のテーマを「男の夢と挫折、そして家族の物語」と話す。大介さんは野球少年だった16歳の時、試合中に右足のつま先をけがして骨髄炎となり、ひざ下を切断。松葉杖生活になっていた。作詞当時は短歌会や劇団を主宰しつつ、小説執筆にいそしんでいた。家族に支えられ、自宅にこもって創作に打ち込む傍ら、ラジオでは欠かさず野球中継を聴いていたという。大介さんは実際に甲子園を訪れることなく、73年6月、58歳で病気で亡くなった。

 生前、高校野球の中継で大会歌を聴くと、「自分ながらいい歌だな」と喜んでいたという。道子さんは3番の歌詞が特に好きだ。野球にうちこむ命の輝き。大介さんの思いを感じる。「今でも新しい。本当にすてきです。夫にはたくさん叱られたけど、素晴らしい歌を残してくれた」

 道子さんは50回大会以降、10年ごとの記念大会は開会式を観戦しており、今夏、子や孫ら一家総出で甲子園を訪れる予定だ。「こんなに長生きして100回大会を迎えられるとは。甲子園で『栄冠は君に輝く』を聴くことは、私の生きがいみたいなものです」

タイトル: 記憶鮮やかに 投稿者名:静商応援歴60年 投稿日:2018/05/29(火) 22:33:46 
50年前の決勝再現 興国×静岡商、8月に記念試合 当時の両エースが始球式 

2018年5月12日 朝日新聞デジタルより

 1968年、夏の甲子園決勝で戦った興国(大阪)と静岡商(静岡)の硬式野球部が8月、記念試合を開く。100回の節目を迎える全国高校野球選手権大会を前に、名勝負を「再現」。往年のエースも始球式でマウンドに上がる。

 大阪府枚方(ひらかた)市の山あいにある興国のグラウンド。50年前の夏、甲子園決勝で静岡商に完封勝ちし、初出場で初の全国制覇を果たしたことを記念して造られた。マウンドは甲子園と同じ黒土だ。

 府高校野球連盟副会長を務める草島葉子校長(57)は、当時の盛り上がりを鮮明に覚えている。校舎のある大阪市天王寺区で、選手がオープンカーに乗ってパレード。沿道には市民が詰めかけた。小学生だった草島校長は選手に花束を手渡した。「生徒も地域の人も、大いに喜んでくれた」

 硬式野球部は今年、創部90周年の節目。春夏計7回の出場を誇る古豪は、75年夏の第57回大会以来、大舞台が遠のいている。

 復活を期し、経験豊富な指導者をそろえた。3年前に就任した田中英樹監督(58)は村野工(兵庫)の元監督。春夏ともチームを甲子園に導いた。喜多隆志部長(38)は智弁和歌山の選手として第79回大会で優勝。慶応大、ロッテでプレーした後、昨春まで智弁和歌山の部長を務めた。

 今夏の100回大会を前に、かつて部長、監督を務めた前教頭の坪内一次さん(62)らが静岡商との記念試合を計画。今年2月、静岡商に打診したところ、快諾を得た。静岡商も、50年前の準優勝メンバーだった元巨人の新浦寿夫さん(67)、元中日の藤波行雄さん(67)が昨夏まで野球部の指導にあたるなど、100回大会に向けた強化に取り組んできた。

 両校で協議し、記念試合は第100回全国高校野球選手権記念大会(8月5日開幕)直前の8月2日、興国のグラウンドで開催。今の野球部員が2試合で対戦する。始球式では興国が丸山朗(あきら)さん(68)、静岡商が新浦さんと、50年前の両エースがマウンドに上がる予定だ。

 丸山さんは「夢のある話。肩の準備を始める」、新浦さんも「こんなにうれしいことはない。ユニホーム姿で投げられれば」と、ともに期待を寄せる。決勝で最後の打者となった藤波さんも試合に駆けつけたいと話す。「丸山さんの球をもう一度見たい」

 試合に臨む両校の後輩たちも意気込む。興国の主軸の西嶋元輝(げんき)選手(3年)は「50回で日本一。100回大会でも優勝できれば歴史に残る」と興国に入った。50年前と同様、「今回も勝ちたい」。静岡商の市川貴也主将(3年)は「50年前、悔しい思いをした先輩の分までがんばりたい」と雪辱を期す。

 両校とも、甲子園出場を決め、決勝で対戦するのが何よりの目標だ。興国の田中監督、静岡商の高田晋松監督(48)は気持ちを新たにする。「夢の舞台で戦えるチームにしたい」(室矢英樹)

     *


 第50回大会決勝は興国と静岡商が対戦。五回裏、内野安打で出塁した丸山が適時打で生還。興国が1―0で初出場・初優勝を果たした。


タイトル: No Title 投稿者名:匿名 投稿日:2018/05/09(水) 22:04:54 
無敵の初戦 静岡商 藤波行雄が語る秘けつ「全国で勝つことが目標だった」

中日スポーツ  2018年5月8日 紙面から

 どんな強豪校や名門校でも、甲子園で勝つことは難しい。ところが、静岡商は夏の選手権大会に9度出場し、全て初戦を突破している。最近は思うように出場できないが、かつては夏の大会で2度の準優勝を誇る古豪。50年前の第50回大会で活躍した藤波行雄(67)らによると、猛練習で培った強い精神力と、小技を確実に決める技術力が背景にあるようだ。 (文中敬称略)

休み返上猛練習

 静岡商が夏の甲子園の初戦に強い理由を、藤波は次のように語った。
 「全国で勝つことが野球部の目標だった。全国で勝つチームでないと予選は勝てない。そう教え込まれた。それが伝統になっていると思う」

 高い目標を設定し、日ごろから大舞台での勝利を視野に入れながら猛練習を積んだ。1967年夏の静岡大会で初戦敗退を喫すると、そこからは休みなし。どこよりも練習したという自信が、チームに無形の力を与えた。「甲子園に出たい」と憧れるだけのチームとは心掛けが違う。

一戦ごとに強く

 節目の第50回大会もそうだった。前評判が高くなかった静岡商は一戦ごとに力をつけ、決勝は興国(大阪)に0−1で敗れたものの2度目の準優勝。2年生ながら全試合に「3番・右翼」で出場した藤波は、決勝を除く5試合で打点を挙げるなど計20打数7安打8打点と活躍した。

 当時は木製バットの時代。好投手を擁するチームが強く、好機が少ないため、バントなど小技の巧拙が勝敗を左右することが多かった。

 藤波は「木のバットでは5点以上を取れない。うちはバントとスクイズで勝つ野球。倉敷工(岡山)との準決勝でも1−0の3回に3番の僕がスクイズ。あとはエースの新浦(寿夫、のち巨人など)が頑張れば、というチームだった」と振り返る。

 この試合は、2回の先制点もスクイズで挙げている。2点のリードをもらった新浦は倉敷工を5安打に抑え、大会3度目の完封。持ち味を十分に生かした試合だった。

 その後も、甲子園では初戦で負けなかった。金属バットが解禁された74年は8強進出。3試合とも1失点ずつに抑えたエースの高橋三千丈(のち中日)は「初戦に強いという意識はなかったが、勝つのが当然というのはあった」と話す。

低迷期経て2006年に32年ぶり白星 大野健介が奮投

 長い低迷期の後、2006年に32年ぶりの出場。1回戦は八幡商(滋賀)に快勝した。この頃は初戦に負けないという伝統がチームに浸透していたようで、2年生エースだった大野健介(現ヤマハ)は次のように話す。

 「初戦に負けていないという話はOBからよく聞かされていた。甲子園で1勝したいという目標を掲げてやってきたし、伝統を途切れさせてはいけないという気持ちがあった」。攻撃でも大会最多タイ記録の1試合9犠打を決めるなど伝統の力を発揮した。

 1950〜70年代の静岡は、全国でも有数の強豪県だった。「どこが出ても、そこそこやれるだけの能力を持っていた」と高橋。優勝こそなかったが静岡商が54、68年、静岡が60、73年に準優勝したほか、71年は静岡学園、72年は東海大工(現東海大静岡翔洋)が8強入りした。

県内で私学台頭
 だが、平成になると静岡県勢が上位に進むことが少なくなった。8強以上は常葉菊川(現常葉大菊川)が2007年に4強、翌08年に準優勝した2度。直近の8年間で初戦を突破したのは1度しかない。私学の台頭で群雄割拠の時代となり、静岡や静岡商も簡単に静岡大会を勝ち抜くことができなくなった。

 「昔は静商(せいしょう)のユニホームに負けた、という話を聞いた。今は、対戦相手が『静商なら何とかなる』と思っている」。寂しそうに語る藤波の口調が現状を表している。


 優勝信じたゆえの「祝準優勝」 式典での珍横断幕

 第50回大会で準優勝し、静岡駅前での式典で市民から声援を受ける静岡商の選手。横断幕の「準」の文字が小さいことが分かる

 興国との第50回大会決勝で、静岡市民は静岡商の勝利を疑っていなかったようだ。大会直後、静岡駅前で行われた式典で使われた横断幕には「祝準優勝」と書かれているが、文字の大きさが不自然。藤波さんは「優勝すると思っていたら準優勝だったので、狭いスペースに慌てて『準』の文字を入れたみたい」と苦笑いを浮かべる。関係者の落胆ぶりが伝わってくる。




タイトル: No Title 投稿者名:同年齢静商卒 投稿日:2017/11/05(日) 23:05:13 
11月3日付けの朝日新聞県内版に載った記事です。

「69歳で弁護士デビュー」
最難関の国家試験といわれる司法試験に67歳で合格し、弁護士として活動を始めた男性がいる。
静岡市の元県職員、朝比奈均さん(69)。「新人」ながら落ち着いた声と表情で、一件一件、依頼人の悩みにじっくりと向き合っている。
 新静岡駅近くの起業支援施設「SOHOしずおか」。10平方メートルほどのシェアオフィスにパソコンや法律関係の書類が所狭しと並ぶ。今年2月、朝比奈さんが開設した事務所だ。
「小さな所帯だけど、まずは一歩を踏み出せたかな」
 静岡市出身。司法の世界とは縁遠い半生だった。静岡高校を卒業後、進学先の東北大では理学部で物理学を専攻。京都大大学院では「光物性」をテーマに、物質に光を当て、その反応から性質を探る研究に明け暮れた。
 卒業後、県の公害防止センターに就職。高度経済成長のまっただ中、技師として田子の浦や浜名湖で開発による環境への影響を分析してきた。退職後も、中小企業向けの環境マネジメント調査をする「環境監査」として働いた。
 転機となったのは57歳の時。「ずっと理系で生きてきて文系の仕事に興味があった。一度きりの人生、何かに挑戦したい」と行政書士の資格の勉強を始めた。行政法や労働法など様々な法律にふれたが、中でも興味をひかれたのが民法と刑法。「世の中の仕組みを根幹から規定している法律。奥深くて新鮮だった」
 数年前、都内の法科大学院に入学。30〜40歳ほど年下の同級生と机を並べたが、記憶力はまるでかなわない。
現場主体の仕事をしてきたせいか、じっと椅子に座ることもつらかった。「思っていたよりもずっと衰えていて、諦めかけたこともあった」
 それでも「衰えた分は量でカバーしよう」と、隙間時間を逃さず毎日10時間以上勉強した。法科大学院を卒業後も独学を続け、2年前、ついに合格。1年間の修習期間を終え今春、弁護士登録にこぎ着けた。
 法務省によると、今年の司法試験合格者の平均年齢は28・8歳。現行の試験がスタートした2006年以降、合格者の最高齢は71歳で、朝比奈さんはこれに近い年齢での合格となる。
 今のところ県庁時代の友人らが紹介してくれる債務処理の手続きや契約書作成の相談が主な業務だが、国選弁護人として刑事裁判の法廷にも立つようにもなった。やりがいは「法律という大きなものを、悩んでいる個々の人に当てはめて解決出来る」こと。大切な人生の時間やお金をなるべく裁判などに費やしてほしくないと、「法廷闘争に発展する前に未然に防げる弁護士」を目指す。
 間もなく70歳。多くの人が引退を考える年齢では、と問うと目を細めた。「先のことは考えても仕方ない。日々勉強し、第二の人生を楽しみますよ」。


タイトル: 重要なお知らせ 投稿者名:[管理者] MASA 投稿日:2017/10/26(木) 00:14:56 
静商野球部応援サイト管理人のMASAです。
この度、ホームページのURLを変更いたします。

新たなURLは
http://seisho-fun.net/
です。
独自ドメインとして取得いたしました。

これまで使用しておりました下記URL
http://www.k3.dion.ne.jp/~sc_fun/
は2017年10月31日をもって、「DION」(KDDI)のサービス終了に伴い閲覧できなくなります。
InternetExplorerなどのWEBブラウザにて「お気に入り」登録をされている方がおられましたら、変更をお願いいたします。

これまでのホームページの内容は全てコピーしておりますが、サーバーの変更による不具合も一部あるかもしれません。
時間を見つつ、修正していこうと思います。

お気づきの点等ございましたら、掲示板などでコメントいただければと思います。
メニューにある「メール送信フォーム」はサーバー変更の影響で動かないと思われます。

タイトル: No Title 投稿者名:67期卒ネット会会員 投稿日:2017/10/04(水) 20:54:44 
ビバ静商! (静商同窓会関東支部)のブログより転載



《 久保田利伸 in 静商文化祭・サプライズ 》

9月30日(土)に文化祭が行われたんですが、その前日の前夜祭に静商同窓生のミュージシャン、久保田利伸さんが来て体育館で2曲歌って帰ったんだそうです。

「感激して泣いちゃった女子生徒が多かった」と書いてあったので Twitter を調べたら、やはりいくつものツィートがありました。


「静商生で良かった」「静商ってすごい」という言葉が見られるので、硬式野球部の甲子園出場以外でも、生徒の心を掴むことはできるんですね。

そうそう、久保田利伸さん、硬式野球部に所属していて、夏の大会に寄せてこんなメッセージも残していました。

「30年以上前、高校は悩んだ末、野球で選びました。やるなら名門校で、と静岡商へ。静岡商で練習に明け暮れる球児だった。最終的には音楽の道を選んだが、当時を振り返り、(高校野球で)挫折したり、悩んだりしたからこそ、今がある。だから、逃げないで悩んで」と。



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タイトル: 文武両道 投稿者名:捲土重来 投稿日:2017/07/22(土) 01:25:13 
7月21日のYahoo!ニュース  岐阜新聞より


史上初!元プロ野球選手・奥村武博、公認会計士になる

元プロ野球選手で初の公認会計士が誕生した。岐阜県多治見市出身の奥村武博さん(38)。
土岐商高から投手で阪神タイガースに入団。ケガで辞めた後、9年の歳月をかけ難関の公認会計士試験を突破、実務補習などを経て先月、正式に登録された。
「野球選手らしく9回を投げ切った気分」と晴れやかに語るが、第二のプロ人生までには多くの挫折を乗り越えてきた経験がある。

 「今季は駄目かも」。奥村さんには予感があった。阪神入団4年目の2001年。けがに苦しみ、1軍公式戦の登板経験はない。
編成担当者から「来期は契約しません」と告げられ、衝撃で頭が真っ白になった。

 翌年は打撃投手に職を得たが、1年で解雇。ある日、何げなく爪をパチンと切った自分に気付いた。それまで爪切りは使わず、毎日手入れを怠らなかった右手の人さし指と中指。「もうプロじゃないんだ」

 球団を離れ、大阪のバーで働きながら調理師学校に通っていたころ、公認会計士という仕事を目にしてひらめいた。「そういえば高校で簿記やったな」。04年、勉強を始めた。

 肉体労働などのバイトを重ね、疲れ果てて勉強できない悪循環も経験した。09年、短答式試験(1次試験)に合格したものの11年、論文式試験(2次試験)を3度不合格になる「三振」をした。

 「よく頑張った。もういいんじゃないか」。周囲は皆、同じ言葉で励ました。奥村さんも諦めかけていた。ただ一人、真逆のことを言ったのが妻だった。「ここでやめたら、壁にぶつかるたび逃げ出す人生になる」

 その一言で「ギアが一段上がった」。生活から娯楽を一切なくし、勉強だけの状況に追い込んだ。13年、ついに2次試験に合格。「うれしさより、安堵(あんど)感でいっぱいだった」

 監査法人で実務経験を積み、登録された。勉強を始めてから足かけ14年。「プロとして新しい挑戦が始まる。満足せず自分を高めたい」。プロ選手のセカンドキャリア支援やスポーツビジネスの勉強に意欲を燃やす。

 自分が簿記に救われたように、若い選手には野球以外に目を向ける大切さを訴える。「好きな野球に長く関わるため、プロ入り前にこそ身に着けるべきことがある」。

野球のために入学した高校で簿記を知り、野球をいったん離れてから簿記を生かして再び野球に戻った自分がここにいる。「野球に縁があり育ててもらった。これから恩返ししていく」


土岐商業野球部とは練習試合で相手をしていただく間柄です。
同じ商業高校同士  がんばれ静商生!


タイトル: 応援団フェスティバル 投稿者名:捲土重来 投稿日:2017/06/13(火) 23:20:44 
応援団フェスティバルのお知らせです

http://sz-ouendanfes.jp/

上記をクリックして開いてください

タイトル: Go!國松 投稿者名:捲土重来 投稿日:2017/05/31(水) 19:52:43 
「静岡野球スカウティングレポート」を検索すると
JR東日本の國松選手の近況が載ってます。
投手に再度転向のニュースです。

タイトル: 常葉菊川の件 投稿者名:[管理者] MASA 投稿日:2016/07/30(土) 10:28:03 
前代未聞ですね。
普段、他校の事について書くことはまずありませんが、前代未聞の事態という事で・・・。

私学とプロ監督という関係上、当事者間では教育というよりはビジネスの要素が強いんでしょうね。

で、ビジネスを行う上では「契約」というのは絶対的な存在。
たとえ紙切れ1枚だったとしても両者で合意していれば、それに反する行為は契約違反。

契約上の様々な観点があるでしょうし、そこに至るまでのプロセスを当事者間だけ(悪く言えば密室)で進めるのも分からなくもない。

けど、自分勝手すぎる印象が強い。

高校野球の強豪校の指導者。
当然、指導者を慕って入学してくる選手もいるだろうし、誘われて入学した選手も。
その子たちの思い、気持ち、モチベーション。
どう考えているんだろう?

以前から考えていたのであれば、事前に意向を伝えるべき。

プロや社会人なら、指導者・監督と一緒に移籍という手段もあるけど、高校野球で転校したら1年間は公式戦への出場停止になる訳で。
実際に転校までする子はいないだろう・・・とは思うけど。

勝利を勝ち取り、華々しい舞台への出場権を得たと思ったら、外的要因に振り回される。
そして、二転三転。
一度壊れた(監督自ら壊した)信頼関係を取り戻すのは相当困難。

表向きは影響がないように振る舞っても、実際のところは違うよね。
周りからの目も、「あー、あの監督が突然辞めるって言った学校・・・」って違う意味で注目されてしまう。

甲子園優勝、もしくはベスト4くらいまでの成績を残さない限り、外野を黙らせることはできないでしょうね。
ましてや初戦敗退なんてしたら、監督は大バッシングの嵐でしょ。

こんな事態に巻き込まれた選手たちがかわいそうだ。


タイトル: 夏にゃぁ いぴゃぁ力つけるずら 投稿者名:大声炎 投稿日:2016/04/12(火) 15:44:19 
先週 宿敵いや天敵でもある静高戦を観戦しただよ。
序盤に2点先取されたが、すぐに逆転したけえが、終盤にホコロビが出ちまったもんで黒星だに。あれさえ無けりゃあ、逃げ切ったじゃんか。ふんとに、やっきりするけど、しょんないだよ。

実は、春の実力は未だ未完成で浮動的だで、これから夏の選手権に向かって、いっぴゃあ実力をつけていきゃあ、えいじゃんか。
現に昨春だって、地区大会までの勝率は、えりゃあ低くて5割だよ。だもんで、地区大会はしょんないっけ。

だけえが、その後(投)エース森や河合っちが急成長したもんで、また(打)の望月(翔)・和久田・奥村(有)っちの打撃もぎゅんと力をつけたっけ。
だもんで、春から夏へ勝率5割が7割5分に急上昇したじゃん。
同時に、平均得点は4.6が5.4に、えりゃあ伸びて、平均失点も3.7が3.1と、えいかん良化しただよ。

それだもんで、夏の選手権は順調に勝ち上がり、準準で浜松市立を下し、準決勝で遂に静高に負けちゃっただけんど、大活躍じゃんか。

今年も選手権までは、これから何十試合も戦って、いっぴゃあ試練を潜って、ぎゅんと力を付けるだに。
そうすりゃあ今年だって、まっと活躍して頂点目指して栄冠勝ち取るずら。

タイトル: 今年は静商桜が満開ずら! 投稿者名:大声炎 投稿日:2016/04/05(火) 18:21:38 
浅間山の桜 満開過ぎたか、静商桜が待ちどうしい。
先週日曜の焼津球場では、静商野球の暴れ桜が芽を出したじゃん。

早や序盤から3連打が飛び出し、3回にはスカッと白球が舞い上がった(HR)。中盤には満塁と絶好なダメ押しのチャンスもつくったが、ここはちょいと遠慮しちゃっただよ。

守りもよく締まって、内野のダブルPや ノーエラー巧かったじゃん。Pも球のキレ鋭く、毎回の様に奪三振じゃん、3−1の勝利
今日は ええっけなあ。

思えば、24年選手権 中本・国松・有賀らを擁してVS橘3−4の惜敗、この春は見事に借りを返しただよ。

次は 宿敵・静高だ、静商桜 咲き競をうぜ!



タイトル: 一人の球児 投稿者名:かえで 投稿日:2016/03/25(金) 16:25:18 
ある一人の球児を追って

私は試合をみにいっている。


その球児は考え方が賢くて球のスピードが安定していて

見るたびに成長している。

これからも注目していきたい

公式戦の時はスタンドから死ぬ気で応援する

その球児は日々努力しているから
私も負けずに頑張りたい

先輩甲子園球場目指して高校最後の年頑張ってください
話せてものすごくうれしかったです
ありがとう

努力はうそをつかない

もしうそをついたとしたら

それは努力とはいえないだろう

その言葉を信じて


タイトル: 万朶の桜咲き競え! 投稿者名:大声炎 投稿日:2016/03/16(水) 21:56:20 
自然界ではとうに春の息吹を感じるが、草木の成長は様々だ。
既に小さな若葉を付けている木、まだ新芽が噴き出たばかりの草木もある。
余寒まだ消えぬ先週の日曜、オフが明けて二日目の好カード・  選抜出場の東海大甲府(5回出場)戦を友達と出かけた。

実は、昨秋からのプロのOB新浦・藤波両氏のご指導による静商野球の成長ぶりを楽しみに出かけたのである。
甲子園組を相手に、結局勝負は仲良く五分で拍手喝采だ。

一戦目は切れあるボールが良く走り奪三振のオンパレードのピッチを見た。
二戦目は終盤のツマズキさえなければ、接戦を続けていただけに惜しまれる試合だった。

シーズン明けで、チームの成長の新芽はまだ出揃ってはいない。
とは言え、投攻守にわたり所ところに新芽が吹いていて、真剣なプレーの中には春の息吹を感じたのは確かである。
これから春の陽光を浴びて一斉につぼみをつけ、やがて「万朶の桜咲き競い」を楽しみに待ちたい。

ところで、新浦・藤波両氏の往時(S43年夏・選手権準優勝)の活躍ぶりなど、少し追想してみたい。(以下当時の朝日新聞からの抜粋)

対倉敷工(岡山)準決勝2−0 「新浦 倉敷工を完封」
               「静商 スクイズ攻め」

「新浦投手」最近になく力感にあふれた大型サウスポーだっつた。
体に恵まれているが投球フォオームがダイナミックである。  ・・・一年生でこれほど弾力性のあるピッチングが出来る投手は、なかなか見当たらない。
(決勝までの成績)6試合・投球回数53・被安打28・奪三振40・与四球19・失点3・防御率0.34
(プロ成績)116勝 123敗 39S・  S43 巨人入り

「藤波外野手」(倉敷工戦)三回は一・三塁で藤波は1−1後、外角を大きく外れるウエストボールにうまく飛び付いて三前へ鮮やかに転がした。この二点目は倉敷工の反撃意欲を大いにぐらつかせるに十分な効果があった。
(決勝までの成績)6試合・打数20・安打7・打点8・犠打4・失策0・打率0.35                   
(プロの成績)11466試合・539安打・24本塁打・   中日入り S49年 セ新人王 
 
当時のチームの横顔:橋本勝策監督・チームワーク良く伝統の  バント戦法
6試合・バント25回やって23回まで走者を進め本塁に迎え入れている。スクイズ9回で「芸術品」の異名あり。




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